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創業100年史・ 篠田商店創業から篠田紙工(株)へ


エス・エヌ・テー
創業100年史
篠田商店創業から
篠田紙工(株)へ
エス・エヌ・テー
誕生物語

一章  新しい物好きだった初代・篠田太吉


初代 篠田太吉は明治生まれです。
祖父の思い出は沢山ありますが、小さい頃から何かあると手を引っ張られ、連れて行かれました。(おそらく後継ぎとして洗脳したのではないか。例えば理屈抜きに中日ファンになっていたと同じように)
いろいろある思い出の中で、こんなことがありました。昭和20年代の方はお分かりのように、プロレスに代表され空手チョップの力道山がめちゃめちゃ強い時代に、テレビが家にあったことです。当時としてはとても高い物で、今思えばよくも買えたのものだぁーと思います。

仕事にはとても情熱的で仕事に厳しい人でしたから、買えたのでしょう。(でも結構新しい物好きであって、結構無理?していたのかもしれませんが。)
祖父の写真を見ながら思い出しています。

                                                   初代:篠田太吉





 

二章 前身は畜産農家


初代 篠田太吉は、岐阜の生まれです。紙や古紙の関係の会社は、この岐阜出身の人が多いです。理由はわかりません。岐阜は家庭紙メーカーや、こうぞ、みつまたで和紙を作ることが盛んであったからかもしれません。もったいない精神で紙類を大切にしていたのでしょう。
新幹線岐阜羽島駅から近く、木曽川沿いの畜産農家の出身で、3人兄弟の長男で生まれました。
よく小さい時、夏休みになると遊びに行ったものです。周囲が木で囲まれ、入り口を入ると井戸があり、 その右奥が大きな家、井戸のすぐ左側がニワトリ小屋、そのずっと左奥に牛舎があり 田んぼ畑があったような記憶です。ネコも犬もいましたね。 何ともいえない臭いとハエにはまいったものでした。

 

三章  大きな屋敷に動物達とにぎやかに暮らす


太吉が生まれたのは大きな屋敷であったから、子供なりにすごい家だなと思ったものです。
田や畑、牛、鶏、ネコ、犬の動物達、自然がそのまま「家」という囲いの中に無理なくおさまっている感じです。
そんな環境の中で育った祖父だから骨太の逞しい体と心をもっていたと思います。今では想像もつかないぜいたくな環境だったのではないでしょうか。鉄筋コンクリートもない。アスファルトもない。車も少ない。公害もない。目にまぶしいほどの空の青さ。入道雲。夕やけのあでやかな色めき。
自然を体一杯、胸一杯、あたり前に受け入れることができた時代に育ち、名古屋へ足をふみ入れたのでした。

 

四章  品の良い名古屋言葉を話す祖母


残念ながら名古屋へ足を踏み入れた頃のことを記憶にとどめていない。
ただわかっているのは篠田家へ養子として入り同様に養子縁組で祖母と結婚した。祖父も祖母も篠田家へ養子として夫婦となった。
あわせて祖母のことの記憶はとても品のよい人で上品な名古屋弁というより名古屋言葉をしゃべる人であった。語尾に「・・・なも」とつくことが多い。きれいであった。今では名古屋弁として「・・・だがね」「・・・だがや」とつたわっているが。
岐阜生まれの祖父と名古屋育ちの祖母がこれから篠田家をついであらたなスタートをするのであった。明治から大正へ時代はすすんでいる。

祖父・太吉と祖母・とめ





五章  気骨あふれた明治の人・篠田太吉


結婚し名古屋に所帯をかまえることになった。養子として篠田家に入り、8人の子供がさずかった。明治から大正へ。私の父は8人兄弟姉妹の中で3番目、男兄弟では2番目。過去帳をみると、兄と姉そして弟をなくしている。 病気や生まれてすぐになくなったと聞く。
この物語をすすめめていくにつれて、その後ろにある時代背景も気になる。
私が生まれてなかった時代の人々の思想・思考・生活文化はどの様であったろうか。そんな時代に紙のそれもリサイクルがあったわけだから。
明治と大正と昭和の時代は、発展と戦争と平和が錯綜するイメージがある。 祖父(初代)はどちらかと言うと明治気質・明治気骨そのままで、初代のパワーをむきだしに、いけいけどんどんであったと思う。

 

六章  二代目父は寡黙で温厚な人


父(2代目)は大正時代の気質かどうかはからないが、人間性が反映されている。とても温厚であり、辛抱強く、あまり多くを語らない。戦争で満州にいたときいいている。明治生まれの派手さはないが、いささか遠慮ぎみであったように感じる。祖父が攻撃の人であれば、父は守備の人であって、確固たる信用を築きあげた人でもあった。
業界内や関連する方面から祖父の話題は多く、父は地味でかくれた存在である。でも、祖父を支え地盤強化に力をそそいだのは、言うまでもなく父であった。

 

七章  働の祖父、静の父


祖父は小さい時から私をひっぱりだしお客様やいろいろな会につれていかれた。
本人は何かもわからない。ただご飯を食べさせてもらうこととか、新幹線のこだまによく乗せてもらった。日ごろよくしゃべるがこれといって私に多くは語らなかったが、よく働く人であった。運命は動きの中にあると言われるが、とにもかくにもよく働いた。そして仕事が大変好きであったと思う。
一方、父は祖父に比べ口数は少なかったと思う。でも大好きな酒が入ると「今日という日は二度と来ない」と言って上機嫌になる。祖父に対して父は動きは静かであったが、それはそれは頭の低い人であった(45度近くまで)。そして人の悪口はまず言わないし言うことがきらいであったと思う。
では私はどうかと言えばこれからの続きとして。
「子は親の背中を見て育つ」と言う。まったくそのとおりであるが、今、現在はどうであろう。
きいた話であるが「父と母それぞれの役割は何か。」
『父は精神を母は現実を教える、そして糸にたとえれば父はタテ糸、母はヨコ糸の役割である』と。

父・武夫と母・鈴子



八章  篠田商店から篠田紙工(株)へ


正直、親切がベースに築き上げてきた。
そのままの人が2代目の父であったが、戦後、祖父の仕事を受け継ぎながら、新たに紙の卸商の看板を持つことになる。 篠田紙工株式会社の誕生である。
大正5年に篠田商店として、リヤカー1台からスタートし、昭和28年に篠田紙工株式会社に商号を。

・故紙(今は「古紙」と書く)
・紙断裁業
・紙の卸販売

 

が営業種目になる。

今でいうなら、紙の製造はしていないが1つの循環がつくっていたと思う。原料から紙生産に利用、使用されできた紙を切ったりはったりとお客様の希望する寸法に断裁、販売していく。
2代に亘り、事業の構築をすすめていくのであった。


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